涙腺のゆるみ

 最近、良く泣く。

 ゆうべは「茶の間の正義」(山本夏彦:中公文庫)の解説を読んで泣いた。

 解説を書いている山崎陽子という人のことは全然知らない。著者との関わりも解説で語られてること以上のことはわからない。だから解説者の悲しみに共感したわけではない。でも何故か泣けるんだ。読み返したらやっぱり泣けた。

 親兄弟との縁は薄い方で、おそらく身内の死に立ち会っても、涙は出ないだろうし、悲しくないと思う。身内でそれだから、知人が死んでも悲しいと感じたことは、まだない。

 にもかかわらず、知らない人が死んで、その死を悼んでる文章を読んで泣いちゃうんだ。

 浪花節大好きで、子供のころ、「さらば」で号泣した口だ。古代が雪の亡骸を横に抱いて艦長席に座ったあたりから涙駄々漏れ。さすがに、今見ても泣けないけど。

 ただ、この解説は浪花節してるわけじゃない。

 自分でもどこのスイッチが入ったのか分析不能。

 こんなのがままある。

 浪花節パターンだと、スイッチがわかるので、ああ、こんなんが好きなんだなわし、と心にメモをとる。商売柄、この手のメモは重要で、自分が好きなパターンを仕事にハメていく。仕事の数をこなしてないので、好きなものシリーズを続けていてもマンネリだと言われる心配もない。

 で、この分析不能のパターンがなかなか難物で、スイッチがわからないからメモにできない。

 歳をとって感情のコントロールが下手になった。というわけではなさそうだ。なぜなら、ちょっと前まで瞬間湯沸かし器だったのが、ここのところあんまり怒らない。諦めや呆れが前面に出ちゃうせいもあるけど、怒ってる自分が馬鹿に思えるので、怒らないようにしている。そしてうまくいっている。

 泣いてる自分が嫌じゃないってのもポイントかな。

 分析できる日が来るといいなぁと思った次第。